釈迦道VS中国IT社長 激闘!!連絡待ちが続いている・・・汗

【体験談】これが私のギャンブル人生のはじまり。

ギャンブル依存症

私が初めてパチンコ屋に入ったのは高校卒業後すぐ。当時18歳だった。その記憶を思い出してまずは記事にしよう。

私はその後15年もの間、ギャンブルに侵された。脳を侵食された。そう思っている。どんなに都合よく解釈しても、これだけは真実だった。今も後悔しかない。

そう、全てはあの日から始まったんだ…

最初の記憶

卒業式が終わり、3月後半の休み。九州の田舎暮らしだが、4月から東京の大学に進学し、一人暮らしすることが決まっていた。平凡なサラリーマン家庭。家族みんな真っ当に日々過ごしていた。

ある日、仲のいい高校の友達に誘われて、近所のパチンコ屋に行くことになった。

晴れて高校を卒業し、大学進学も決まっていたので何か新しいことをやってみたい、という興味だけだった。今思えば、間違いなく舞い上がっていた。

田舎のパチンコ店は、アミューズメントパークのように大きい。

その頃は、大人のゲームセンターのようなイメージを持っていて、いつか一度は行ってみたいと思っていた。

友達に誘われたわけだが、断ることもできたし、今も彼を責めたりするつもりは全くない。かれは友人だった。

「18歳になりたてで、もしかしたら声をかけられるかもしれない。」念のため、取ったばかりの運転免許証を持参した。

友達は免許をまだ取っていなかったので、高校の修学旅行でオーストラリアに行ったときに取得したパスポートを持参したのを覚えている。今思えば、なんという笑い話だろう。

「これがあれば18歳であることは証明できる!」

そんな思いからだった。

パチンコ屋がどういうシステムになっているかなど、2人は全く知らなかった。

緊張で心臓がバクバクしたことを今でも覚えている。入ることには共に罪悪感があった。褒められることではない。それは分かっていた。

店に入ると色とりどりの台が並んでいた。ゲームセンターで見たことはあったが、こんなに並んでいるのは初めて見た。

当時は4号機。よく覚えていないが、パチスロだと北斗の拳や、ルパンの台が並んでいた記憶はある。パチンコは海物語。海物語はゲーセンにもあったので何度か打ったが、当たったことはなく、面白いと思ったことも一度もなかった。

私は「ガメラ」という台に座った。一番目立たない、奥の角台に座ったことを覚えている。ガメラ自体は全く知らない話だったが、台がピカピカと光り、純粋に面白そうだと感じたからその台を選んだと思う。

「とりあえず長居はしたくない。どんなものか一度試すだけ。」

そんな気持ちだった。

その日持参したお金は3000円。友達にいたっては2000円だった。ゲーセン感覚なので、もし当たらなければすぐに帰ろうと思っていた。3000円ならボウリング2回分くらいだから、まあ無くなっても仕方ない。そう心に決めていた。

ただ、勝ち負けがどうこうということよりも、パチンコ屋という空間に今いることの罪悪感、後ろめたさで心臓が飛び出しそうだったのは覚えている。

最初の1000円は全く意味も分からないまま、すぐになくなった。こんなもんなのか、と、考える暇もないくらい一瞬。

ただ、店内を徘徊する勇気もなく、すぐに同じ台に2000円目を入れた。友達はすでにお金が無くなったようだ。私のところに近づいてきた。

すると突然ケタタマシイ音が鳴り、なんとビッグボーナス。何で当たったのか、これは本当に当たりのか?全く分からなかった。

今思うとあの台はMAX711枚取れる台だったのだろう。連チャンさせれば、一撃で万枚の可能性もある。当時はそんな知識はなかった。

ただ、スロットなんてレバー叩いて3つのボタンを押すだけ。それ以外にやることはない。目押しなんかも恐らく必要なかった。

最終的に600枚位のメダルが出てきた。

出る時のスピードは圧巻だった。5秒で15枚、どんどんとメダルが払い出される。ゲーセンでスロットを打ったことはあったが、ゲーセンの機械はメダルがジャンジャン出る仕組みにはなっていなかったので、そのスピードに困惑した。

「もしかして、台を壊してしまったか?」

焦りが出てきた。

「やばい、こんなに出たら目立ってしまう…。そもそも、こんな簡単に当たるはずないよな…。」

とにかく焦っていて、メダルが床に何枚も溢れた。

友達も初めてだったので2人とも何もわからず慌てていた。

ボーナスタイムが終わった。私は

「すぐに辞めたい」

と思った。

喜びではなく、恐怖、焦りを感じたからだ。

だが、この後どうすればいいかがわからない。とりあえず店員を呼べばいいのか?

さらに心臓がバクバクした。店内には無数の監視カメラがついていた。もし2000円で当たったとなると、なんか細工をしていると思われるのではないか。私はなるだけ平静を保とうとしたが、それは難しかった。

周囲を見渡した。箱にメダルを入れている人がいる。なるほど、この箱にメダルを入れるのか。そこまで理解できた。

急いでメダルを箱に入れた。その後は1ゲームも回す気にはなれなかった。恐らく、台に入っていたクレジットの50枚はそのままだったと思う。

箱を持って店員のところまで持っていった。枚数の書かれたレシートをもらった。これを持ってレジまで行けばいいのか。その流れもなんとなく理解できた。

レシートを渡して金景品をもらった。これも初めて見た。中には小さな金が入っている。

「本物の金なのかな?」

そんなことを少し考えたが、まだ店内。

「早くお店を出なくては…」

なるだけ監視カメラに写らないように、下を向きながら早歩きで店を出た。

広い駐車場の脇に小さな窓口があった。景品をもらった人はここにみんな歩いている。

「ここで、お金に変えるのか。」

そこまで理解した。近づくと小さな投入口があり、そこに貰った景品を入れた。すると左前の液晶に、

12000円

と表示された。

当時18歳の私はまだバイトもしたことがなかった。お小遣いを月に5000円貰って友達と遊んでいる程度で、お金を生み出す。という感覚をこの時初めて感じたと思う。

ものの30分で2000円が12000円になったのだ。

ただ、このお金、本当に受け取って良いのか?ここで受け取ったら、お金を得たという事実はもう変えられない。パチンコをやったという事実から、逃れることはできなくなる。

そう思った。だがここまできて持って帰らないのも逆に怪しい。それこそ不審に思われる。

そんな葛藤があった。ただ、とにかく一刻も早くその場は離れたかった。

結局、受け取った。

お金はすぐポケットにしまい、私は駅の方向に走った。

その日の夜は、正直怖かった。すぐに親にバレるのではないか。卒業したばかりで、これから上京して大学にも入る。そんな中で、パチンコ屋に出入りしたことが明るみになれば、進学は取り消しになるだろう。お金が手に入った喜びなど感じなかった。

その後、上京するまでの2週間、そのパチンコ屋には近づかなかった。

これが私の本当に最初のギャンブルとの出会い。ギャンブルに触れた瞬間。

未だにこれだけ鮮明に覚えているということは、当時の私にとっては相当な経験だったのだと思う。

それから約15年…

私は完全なギャンブル依存性患者になっていた。

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