釈迦道VS中国IT社長 激闘!!連絡待ちが続いている・・・汗

【体験談】大学生になり手を出した競馬

ギャンブル依存症

私のギャンブル転落人生の始まりは、前回の記事

【体験談】これが私のギャンブル人生のはじまり。
私が初めてパチンコ屋に入ったのは高校卒業後すぐ。当時18歳だった。その記憶を思い出してまずは記事にしよう。 私はその後15年もの間、ギャンブルに侵された。脳を侵食された。そう思っている。どんなに都合よく解釈しても、これだけ...

こちらを見てほしい。

今回はその続編、競馬の闇に落ちた日。について記事を書きます。

九州の田舎から東京の大学に進学した私は、次のギャンブルの魔の手に落ちていきます。

競馬人生の始まり。何事も初めてやった時の記憶というものは、鮮烈に覚えているものですね。。。ではどうぞ。

大学生活

大学してすぐにオールラウンドサークルに入った。高校まで、ほとんど遊んでこなかった私は、まさに大学デビュー。このサークルに大学生活の楽しみを見出していた。今でも親友と呼べるのはこの時のメンバー、一生の友人ができたという点において、サークルの皆には感謝している。

”オールラウンド”というのは、簡単に言うと、”いろんなスポーツをする”という意味だ。授業の空き時間に暇な人が集まり、学校の施設を借りて、バレーボール、卓球、バトミントン、サッカー、ソフトボール、バスケットボールなどを行う。

普段は和気あいあいあとやっているが、定期的にサークル対抗大会などもあり、その時は自分の得意種目に参加する。結構ガチでスポーツをする。

この絶妙な遊びとガチの融合が楽しかった。

夏は沖縄、冬は軽井沢に”合宿”と称して旅行を企画する。沖縄旅行は一番のイベントで、1年前から旅行会社と打ち合わせをする、ある意味気合の入ったサークルだった。

自分の所属したサークルは学内でも大きい方で、各学年20人くらい。合計80人くらいで活動していた。一応10年位の歴史があり、OBも存在し、暗黙のルールなどもあった。だが、そこは有名私立4年大学。皆受験で入学しているので、根は真面目な人ばかり。お酒の飲み方はかなり酷かったが、大きな問題を起こすことも1度もなかった。男女比率も5対5くらい。学年の壁も超えて仲良くやっていた。

ある日、会長に誘われて…

大学2年目の5月末、サークルの会長から声を掛けられた。

「おまえ、競馬やったことある?」

”会長”とは、全メンバーから最も愛され、スポーツができ、そして何より、信頼とカリスマ性に秀でた3年生から選ばれる。この時の私からすると、一つ上の学年。満場一致になることが殆どだが、派閥が割れた時には全員での決戦投票が行われる。

3年の秋になると、就活が本格的に始まるため、大学1年~3年の夏まで主力として活動していた。

今思うと、サークルは会社組織にそっくりだった。会社の縮図。会長の他に、副会長が男女2名、会計、旅行係。という計5名で幹部が構成され、ちなみに私は会計をやっていた。

今思えば、ギャンブル依存性の私が会計??明らかな人選ミスだったと思う。旅行の際など、1人5万くらい集めるので、一時的に手元に200万くらい管理したこともあった。会社なら間違いなく潰れていただろう。もちろん横領で。

話を戻そう。

「おまえ、競馬やったことある?」

会長が私に言った。

大学1年生の頃の話はすっ飛ばしているが、このころになるとパチンコスロットの病魔に私は侵されていた。暇さえあれば、朝からスロットに興じていた。

バイトも始めていたが、学生バイトでは月10万も稼げなかった。後は奨学金の6万が毎月振り込まれる。家賃は親が出してくれていた。

たよく考えたら、月16万。水道電気ガス、携帯で2万引かれても14万。実はキャッシュリッチだったんだろう。あの頃パチスロさえしていなければ。。。

すみません、また話を戻します。

私は、「競馬はやったことないんですよね、でも興味あるのでやってみたいです!」そう答えた。

ただ、競馬に関しては、まだ全く興味がなかった。ただ、会長に誘われたのと、サークルのイベントだし、みんなで行くなら楽しそう!

そんな軽い気持ちで応諾した。

ちなみに、昨今の『J○A』のテレビCMがまさにこれ。「みんなで競馬場に遊びに行こう!」みたいなCM。あのCMが流れるたびに、大学時代のことを思い出す。

ちなみに、競馬について当時私が持っていた印象は、

「1.5倍とか2倍とか、当たっても大して増えないじゃん。」という感じ。

既にパチンコ、スロットにはどっぷり浸かっており、1日で4、5万は余裕で使っていた。ただ、パチンコスロットはしらばく遊べる。1日打っていればプラスに転じることもあったり、連チャンすれば一発逆転することもある。その浮き沈みが楽しかった。また、何より、一人で黙々とやれることが私の性に合っていた。

一方、競馬は一瞬。一瞬で数万円賭けて、鼻差で負けたら全て無くなる。しかも走るのは馬。

「そんなのに、大金を使えるわけない!」

今思うと、そんな全うな考え方を当時は持てていたのである。

ということで、日々のギャンブルはパチンコスロット一択だった。

こうやって思い返すと、その頃から負け犬の考えだった。もし、「5分で1.5倍、2倍にも増える」そう考えられれば、ギャンブラーの資質も少しはあたったのかもしれない。鼻から負けることを前提にしていた私は、この時点で明らかに博打の才能がなかったのだ。

「じゃあ、今週末、みんなで競馬場行こうぜ!府中競馬場で日本ダービーっていう大きなレースがあるんだよ!絶対楽しいはず!」会長は言った。

「是非連れて行ってください!」と即答した。

ちなみに、この時もまずは年齢制限を調べた。競馬は20歳になってから。

私は大学2年で20歳になっていたので、合法。よかった。。。

「下手したら、ビギナーズラックで100万とか当たるかも…そしたら、税金とかで親にバレるかな…」そんな無駄な心配をしていた。

日本ダービー当日。

誘われてから当日まで1週間あったが、競馬新聞を読んだり、ネットで調べることは全くしなかった。やはりその時点で自分は競馬に興味がないのだ。ただ、皆と競馬場に遊びに行くことが楽しみ。そして当日の朝を迎えた。

競馬場に入ると、人人人…10数万人は入っている。

「全然想像していたのと違う…」

まずそう思った。

ご飯も長蛇の列で食べられない。トイレも並ぶ。みんなでワイガヤ喋るスペースなど少しもなかった。

最初は5人で行ったのだが、気が付くと2人と3人に分裂していた。

私は会長と行動。彼も競馬に関しては詳しくはなさそうだ。朝からもう3杯もビールを飲んでいる。彼は楽しんでいるようだった。

入り口で無料のパンフレットをもらい、そこにレース番号と馬の名前がズラッと書いてあったので、それを見てなんとなく2レース賭けてみた。金額はどちらも1000円くらいだったと思う。たまたまか必然かわからないが、かすりもしなかった。

私もビールを1杯のんだところで、会長が

「ちょっとトイレ」といって走っていった。

気がつくと、午後3時過ぎ。次のレースが本命の日本ダービー

府中競馬場のボルテージは、まさに最高潮を迎えようとしていた…

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