釈迦道VS中国IT社長 激闘!!連絡待ちが続いている・・・汗

プロローグ すべてここから始まった

ギャンブル依存症

釈迦道は考えていた。

あぁ金が欲しい。まとまった金があれば人生変われる。メルカリで売れるものはどこかに無いか、何でもいい、金策を考えるんだ…と。

しかし、しばらく家中を探したが、そんなものは一つもない。あるのはガラクタばかり。むしろ廃棄するにも金がかかる時代。数百円も稼げない。詰んだのか?自分…

思い返せば、20代は一人暮らしで、その日暮らし。昼はギャンブル、夜は飲み歩き、欲望のままに生きていた。

「そんな時代もあったなあ。」今でもたまに思い出す。あの頃は楽しかったが、実際は借金まみれだった。考えないようにしていたが、実際は借金ありきで楽しむ日々。今思えば、狂ってる。偽りの快楽で人生の華20代は終わってしまった。

結局借りた金で遊んで、自分の欲を満たしていただけ。それは、すでに死んでいたのと同義。生きていなかったんだと。今になって思う。

何度負けてもやれる。まだやれる。と根拠のない自信だけがあった。夏のボーナスが入れば逆転できる、FXで200ピプス取れたら一気に取り返せる、競馬にぶち込めば収支はプラスだ。。。と。

だが、現実は違った。土壇場では勝てない、土壇場では勝負できない。これが負け癖だ。負け癖がついてしまった自分は、簡単には変えられなかった。

30歳になり、結婚した。当然今は置かれている環境が違う。家庭があり、子供をしっかりと育てることが一番大切。そうじゃないのかもしれないが、まずはそう思おう。生き方としては、よっぽど全うじゃないか。

ちなみに、小さい子供1人と妻の3人家族だが、日常生活には何かと金がかかる。一般的な家庭という概念は不毛だと思うが、2人3人を育てている家族は金がかかって大変だろうなと。一人暮らしなら、お金が無くなれば、カップラーメン、食べないという選択肢もあった。だがそれはできない。

「金があればなあ」また思い浮かんだ。。。

ふと、喫茶店や電車、喫煙所で他人の会話を聞いていても、大人の会話といえば、ほとんど金の話。若い子も、年寄りも。しかも大体が金の愚痴や不満。

「結局みんな金のために生きてるのか・・・」

そう思えてならない。いくら綺麗事を並べても、それは周りの目を気にしているだけ。結局みんな自分が一番大好きなんだよな。そして、所詮金。金が積まれても変わらない人間なんていないだろう。

結局、俺が生きている人生なんてそんなもんなのか。他人と金の愚痴と不満を言い合って気が付いたら、死が訪れている。そんな人生なのか。

そんなのは嫌だ。

テレビやネットニュースではコロナのニュースが連日報道されている。多くの話題は、コロナによる、貧困化、失職、明日の生活費がない、営業できずに閉店。。

だが、私が聞いた話だと、このコロナ問題でも逆に儲けている人たちもいるようだ。しかも、合法的に。残酷な世界、でもそれが普通。

そんな風に考えると俺も泣けてくる。チャンスはあるはずなのに、掴んでいない。いつも人のせいにして、コロナのせいにして、逆境を超えようとしていない。本気で変えようとしていない。

自分も何も違わず、気がついたらそんな30代のいいおじさんになった。このままでは何も変わらない。。。

「苦しんでいる人がいても、どこかで誰かが笑っている」それが社会。それが現実。

“戦争が一番儲かる”という言葉もよく聞く。とどのつまり、何が起こったら、どうなるかではない。何が起こったとしても、この世界では、やるかやられるか。取るか取られるかなのだ。

「やるしかない。何か行動を起こすしかない。」そんな思いが強まってくる。

気がつくと朝の5時、いつもは聞こえない始発の電車が動き出そうとするかすかな音が、なぜか胸をざわつかせた。。。

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